2012-11-19(Mon)
こんばんは、中川です。
昨日今日は一年一度の鍼灸史学会でした。
2日で32演題の発表でしたが、絞りつくして、寝ないでフラフラの人もいました。私たち夫婦も、特に芳里はやりきりました。
私は中国三国時代、3世紀末の『甲乙経』(こうおつきょう)という医学書、芳里は南宋12世紀半ばの『幼幼新書』という医学書の研究発表をしました。
すぐさま臨床に、というよりより洗練された東アジア圏伝統医学(世間でいう東洋医学)的な診断の枠組みを作るための研究という感じです。
反映されるのはしばらく後でしょうね。
鍼灸師といっても、「東洋医学でやりたい派」や、「東洋医学というと、何か解らないし胡散臭いから、現代医学でやる」という人、「本当に胡散臭いひと」なんかがいます。残念ながらどの立場も、大半の人が伝統医学の文献を読みません。これで、「東洋医学では…」などと言うのは、些か恥ずかしい気がします。
伝統医学の文献と臨床を同時にやる人がもう少し増えたら、肩こりだけでは無い、治療としての鍼灸が増えるかもしれません。
昨日今日は一年一度の鍼灸史学会でした。
2日で32演題の発表でしたが、絞りつくして、寝ないでフラフラの人もいました。私たち夫婦も、特に芳里はやりきりました。
私は中国三国時代、3世紀末の『甲乙経』(こうおつきょう)という医学書、芳里は南宋12世紀半ばの『幼幼新書』という医学書の研究発表をしました。
すぐさま臨床に、というよりより洗練された東アジア圏伝統医学(世間でいう東洋医学)的な診断の枠組みを作るための研究という感じです。
反映されるのはしばらく後でしょうね。
鍼灸師といっても、「東洋医学でやりたい派」や、「東洋医学というと、何か解らないし胡散臭いから、現代医学でやる」という人、「本当に胡散臭いひと」なんかがいます。残念ながらどの立場も、大半の人が伝統医学の文献を読みません。これで、「東洋医学では…」などと言うのは、些か恥ずかしい気がします。
伝統医学の文献と臨床を同時にやる人がもう少し増えたら、肩こりだけでは無い、治療としての鍼灸が増えるかもしれません。
スポンサーサイト